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「ポスト印象派展」国立新美術館

100624 平日の午後4時頃の入館だったからか、かなりの混雑を予想していたが、比較的ゆったり見ることが出来たのはラッキーだった。全部で115点の油彩は圧倒的な見ごたえだ。これだけの作品群がフランスを離れることは2度とない、と大統領自身語るほどの今回の展覧会、豪州でもラッド首相が空前絶後の出来ごとと絶賛。いずれも最大級の表現だ。

「ポスト印象派」と銘打っている以上、印象派の展示がなくても問題ないのだが、それでも印象派好きの日本人のために、「第1章」は「最後の印象派」とタイトルをつけて、モネ、ドガ、シスレー、ピサロなど、10点ほどが展示されている。この中ではモネの「日傘の女性」が超目玉か。「ポスト印象派展」国立新美術館_c0075706_9174756.jpg第2章はスーラ、シニャックなどの点描派たちの「新印象派」。この中で、ピサロも一時この描法に興味を抱いて点描作品を残しているのが面白い。

「ポスト印象派展」国立新美術館_c0075706_10331230.jpg
第3章は「セザンヌとセザンヌ主義cézanité」で、セザンヌが8点。得意とした「サント=ヴィクトワール山」や「水浴の男たち」などは余り好きではないが、静物はどれも素晴らしい。セザンヌは後期印象派に属する。印象派に飽き足らず、その後の進むべき絵画の道筋をつけた画家と言われる偉大な存在ということになっている。

第4章 ロートレック
第5章 ゴッホとゴーギャン
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「ポスト印象派展」国立新美術館_c0075706_10253593.jpg←ゴーギャンの「黄色いキリストのいる自画像」 彼の絵は、タヒチ後に代表作が多いとされているが、タヒチに渡る前の作品の方が好きだ。レザリスカンは、損保ジャパン東郷青児美術館所蔵のものとそっくりで、一瞬見間違えた。尤も損保ジャパンの方は「アリスカンの並木道」というタイトル。

第6章 ポン=タヴェン派 ブルターニュに落ち着いたゴーギャンに惹かれた画家たちの作品群。ポール・セリジェの作品など、ゴーギャンが描いたと言われても信じてしまうほど良く似た作風。

「ポスト印象派展」国立新美術館_c0075706_1036996.jpg
第7章 ナビ派 ナビとはヘブライ語で預言者のこととか。極めて装飾的な象徴主義。ドニ、ボナール、ヴュイヤール、ヴァロットンなど。ポンタヴェン派同様、平板で、陰影がすくなく、輪郭線がはっきりしているのが特徴。色調も独特。
第8章 内面への眼差し(苦しいタイトル)
第9章 アンリ・ルソー(まるまる一つの章をもうけるほどか)↓ただこの絵も今回の超目玉。
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第10章 装飾の勝利(なんだかよう分からん)

只今現在、オルセーの最上階部分がどのようになっているのか、果たして印象派そのものは見られるのか、今度現地で確かめたい。ともあれ、近年では最高に価値ある展覧会ゆえ、8月16日までに是非国立新美術館まで脚を伸ばされることを勧めたい。

(画像は同館のサイトから拝借しました)
# by grappa-tei | 2010-06-25 10:46 | 美術

「告白」

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「告白」_c0075706_051956.jpg
年端もいかぬ我が子を殺された女性教師。彼女に残されたものは何か。この不条理さにどう決着をつけるか。その一念で、考えに考え抜いたその方法とは。

自らのクラスの生徒の中に二人の犯人を割り出し、予想もつかぬ方法で二人を追い詰め、ついには家族まで巻き込んで見事、凄まじい復讐を遂げる。

最後の授業、相変わらず先生の声に耳を傾ける生徒とていない中で、構わずいつものていねいな口調で淡々と話し続ける教師。そして、徐々に核心へ。いつの間にか凍りつくように静まり返る教室。犯人AとBにある方法で復讐することを告げる。
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教師森口悠子を演じる松 たか子がいい。こういう役どころは初めてだろうが、務めて大げさにならぬよう控えめな演技に好感が持てる。原作を知らないが、終盤、一気の展開と思わず瞠目するような映像に打ちのめされる。
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殺される犯人Aの母親役の木村佳乃、この通り、まことに美しいが、やや演技が平板に映った。もう一工夫欲しいところだ。子役たちは概して巧い。
(画像はALLCINEMA on lineから拝借)

#32
# by grappa-tei | 2010-06-24 00:10 | 映画

断捨離

100623 先日、本屋で立ち読みした中に、結構ためになることが書かれていた。それ「が断捨離(ダンシャリ)のすすめ」だ。読んで字のごとし。不要なものをとっと捨てる技のこと。以下、その抜粋。

「掃除が楽になった。仕事のお客さんが増えた。偶発的な幸運に恵まれるようになった。かつての友人のように、自分自身が輝き始めたことが身をもって理解できた。 心が充電されたような感があったという。そして気づいた。いらないものに囲まれていたときは、掃除をしなきゃ、あれを使わなきゃといった、強迫に似た気持ちがあったことに。 モノを捨てることは自分を再発見することである。本当に必要なモノ、そうありたい自分を探していくことだ。必要なモノを選び抜く作業なのだ。 私たちは、もったいない、モノは大事にと教育されて育ってきた。しかしそれは、モノに乏しい前時代の教育である。モノあふれの現代にそぐわないものであるのに、気づいていない人が多い。」

この考え方、つまり不要なものをダイナミックに処分すること自体は、随分前から唱える人が少なくなかったし、本屋にはズラリと同様な本が並んでいる。また、自分でも日々そう感じているが、イザとなると、これがなかなか思うようには行かない。

でも、そろそろ人生のたたみ時である。今回はかなり思いきって始めた。新しいモノでも、思い出のこもっているものでも、またいつか再び読む時があるかも知れない本などなど。要するに、今使っていない、なくても困らないものはどんどん出しまくっている。カミさんも娘も呼応して始めているから、今回は成果が期待できそうな気がする。

今までなかったスペースが出来て、何故もっと早くこれに気付かなかったのかと思う次第。断捨離と同時に、モノを可能な限り買わないこと。仮に買ったら、手持ちのものを処分する、ぐらいのことをしないと、また気づいたら元の木阿弥では困る。

フランス人は、モノが欲しくなった時に、これを買わなくてはいけない理由、なくても困らないことを十分考えてから、やっと財布のヒモをゆるめるらしい。なかなか味わい深いではないか。
# by grappa-tei | 2010-06-23 11:50 | misc.

化粧する女

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車内マナーの悪さは今に始まったことではないから、今更の話だが、昨日の光景も、なかなかのもの。京浜東北線車内、午後4時半頃、女子高校生と思しき一群。車内は空いていて、座れるにもかかかわらず、内1名が通路にしゃがみこんでの化粧。大体、高校生が化粧すること自体気に食わぬが、この光景にはたまげた。通路だから通る乗客の邪魔になるのだが、一向に気にする気配なし。

最近、アムステルダム在住のある日本人のブログを思い出した。
あの国は、いち早くマリフアナや売春、それに尊厳死も合法にしてしまう、先進国でも珍しいおおらかな国。ということは、国が大人の「常識」を信じているということなのだろうが、それにしても、他国民から見れば、かなり奇異に映る。

そういう国でも、女性が生脚で歩いていると飾り窓の女かと思われて、車が寄ってきて声をかけるとか。車内で化粧するなど、論外。

愚亭の中高時代の美術の恩師、現在80歳過ぎだが、車内で隣の女性が化粧を始めると、「それは商売人のやることだよ!」と声をかけるとか。すると黙って中断するケースがほとんどとのこと。こちらも真似しようかと一瞬思ったものの、「っるせーなぁー、コノヤロー、降りろ!」ってやられのがオチかな。80歳ぐらいまで生きていたら、真似してみるか。
# by grappa-tei | 2010-06-22 08:55 | misc.

「孤高のメス」

100621「孤高のメス」_c0075706_1833117.jpg 港のある片田舎。末期の肝硬変で助かる見込みのない市長がいる一方、交通事故で脳死状態の息子を抱える母親がいる。幼い息子の死を無駄にしたくないと悩む母親。そして、新しい命として臓器移植を願う母親を前に、若い医師は重い決断をする。しかし、当時、日本はまだ臓器移植が認められておらず、この手術をすることは即、犯罪を意味する。

アメリカの大学で新しい技術を身に付けた当麻医師は、幼い頃に手遅れで母親を亡くしたことがトラウマとなって、患者の命を救うこと以外には何の興味もない純粋な人物。事後のことは自分が責任を取ればいいという気持ちで、長時間に及ぶ生体肝移植に踏み切る。手術は成功し、情状酌量で起訴を免れた当麻は病院を去っていく。

自分自身、現役の看護婦でありながら、病院をたらいまわしにされた挙句、急死した浪子の葬儀に、近所に住む幼稚園時代の静先生と参列した新米医師の一人息子弘平は、母親の遺品の中に一冊の日記を見つける。そこには、母親の看護婦時代の悩みや希望が克明に綴られている。

最低の技術しか持ち合わせないのに、出世だけには異常な情熱を燃やす俗物、野本医師にいい加減を愛想をつかしていたところに、新任の若手医師が登場する。純粋な当麻の下で看護婦としてオペに立ち会えることに、次第に歓びを見いだす浪子。そして市長の手術に立ち会い、チームワークが奏功して手術は大成功、更に当麻に看護婦としての手際良さを褒められ、やがて当麻の存在を意識するようになった直後の当麻の異動。去り際に、当麻に万感の思いを込めて礼を言うが、自分の気持ちを万分の一も伝えられないもどかしさが浪子には残る。

今日は、その新米医師、弘平が新任の挨拶にこの「さざなみ市民病院」の病院長に挨拶にやってくる。病院長の帰りを待つ間、何気なく病院長のデスクにある写真の1枚に目をとめると、そこには出発直前に撮影された母浪子と並んで映っている当麻の姿が。

淡々と難しい手術をこなしていく当麻医師を演じる堤 真一がいい。もともと愛想のないタイプだけに、地で行っている感じだ。また毅然さを感じさせる視線が素晴らしい。一方、浪子を演じる、意地の強さと同時に弱さやもろさを感じさせる表情の夏川結衣がたまらない。手術中の演技は、専門家から長時間の指導を受けたと思うが、迫真の出来栄え。秀作である。

#31
# by grappa-tei | 2010-06-21 19:52 | 映画