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葫蘆島からの脱出

090817 先日、NHKが終戦記念日特番の一つで、満州からの日本人引揚秘話を取り上げていた。これは再放映。105万人に及ぶ日本人引揚者を輸送する計画を立てた米軍が、ソ連や中国と交渉の上、最終的に渤海の、更に奥まった遼東湾に面する胡蘆島から引揚船を出すことに決定し、LST(landing ship tank 戦車上陸用舟艇)を何百と調達、更に日本所有の商船なども使って、昭和21年5月から、23年8月までにこの作戦を完了したことを知った。2年ちょっとで百万人以上を輸送するというスケールの大きな作戦だったことが分かる。

 実は、我々一家も父親が満鉄勤務だった関係から、奉天や大連で、当時としては割りに恵まれた生活を送っていたが、終戦で一気に辛酸をなめる生活へ突き落された。それでも、一家離散することもなく、無事帰国(22年10月)できたのは、まことに運が良かったとしかいいようがない。もちろん、ここに至るまでの父母の苦悩と努力はいかばかりだったか、想像に難くない。因みに、幸運にも我々が乗船したのはLSTではなく、運命の1905年5月27日未明、対馬沖でバルチック艦隊を最初に発見し、「敵艦見ゆ」と打電した「信濃丸」であった。

 文芸春秋最新号にもこれに関連する特集記事が組まれている。その中で、俳優宝田 明の引揚経験談を読むと、ほぼ似たような状況で故国の土を踏んだことが分かる。

 愚亭はまだ幼児で、ほとんど記憶になく、後から両親、或いは姉兄から聞いた話が記憶に混ざってしまっているようだ。それでも、船上生活の様子、佐世保に到着時の模様、或いは上陸後の収容所でドラム缶からわけの分からないスープの配給を受けたようなことは断片的に覚えている。

 満州で終戦を迎えた一般入植者たちの運命が過酷極まるものだったことは、小説、TVドラマ、映画などで描きつくされている印象があるが、一般人を放置して、我先に敵地を逃れた関東軍の悪逆非道ぶりは、何年経とうが語りつくされるもんではないだろう。
by grappa-tei | 2009-08-17 10:48 | TV番組


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